「Fairy Bang!!」  その②


 このビルはさっきのビルとは違っていた。さっきのビルはコンクリートしかなかったが、このビルは壁も内装もしっかりしていて、昔の面影を残していた。その証拠が無数の服だった。棚に置かれている物、ハンガーに掛けられている物‥‥。壁も服もボロボロだったが、隠れる場所は無数にあった。試着室もあるし、服と服の間に隠れる事もできる。
 さっきのビルよりはまだ可能性はあるとワタルは思った。
「‥‥よし」
 ワタルは息を整え、近くの服を右膝に巻き付ける。激痛が走る。ワタルは歯を食いしばり、その痛みに耐えた。
 ピクルは余裕を見せているのか、すぐにはビルの中に入ってこない。ワタルは辺りを見回し、隠れられる場所を探した。
 そしてそれはすぐに見つかった。


「どこかしらー、おにいさん」
 ワタルがビルに入ってから少しして、ピクルが入ってきた。時計を見る。残り時間は後30分。
 ピクルは今回で5回目だった。最初はただお金が欲しくて始めた事だった。そして、とんとん拍子に勝ち進み、気がつけば5回目だった。
 その頃、ピクルの中ではただ金が欲しい、とは別の感情があった。
 ピクルは人間が嫌いだった。昔から存在するというだけで生意気な顔をする。小さいというだけでバカにする。散々戦争をやってきた種族のくせに、何故あそこまで生意気な顔ができるのか、ピクルには分からなかった。
 このゲームで彼女に勝った者は1人もいない。それ見た事か、とピクルは思った。自分達の方がよっぽど優秀ではないか。生意気な顔などできるわけがないのだ。
 そんな事を思い始めた彼女にとってフェアリーバングは、妖精である事の喜びを感じられる最高のゲームだった。
 だが、今回の相手は少し厄介だった。不利なのにやたらと粘る。普通、ここまで不利になると根を上げるものだ。だが今回の奴は違う。少し本気を出さないといけないかもしれない。
「‥‥」
 ここは障害物が多い。例えタッチしたとしても、すぐには逃げられない。障害物を避けている内に捕まる可能性もある。妖精は早いが、その分力は無い。服などで妨害されるなどの力押しで来られるとまずい。暴力行為がOKなのは、圧倒的に不利な人間に唯一与えられたチャンスなのだ。
 ピクルは服の列に目を凝らす。彼の姿はまったく見えない。血の匂いもしない。何を企んでいるのか、見当がつかない。
「‥‥」
 だが、こんな時でもピクルの心は落ち着いていた。いや、興奮していた。人間がどこまで粘っても、所詮は勝てない。その愉悦がたまらなく心地好かった。
 ピクルはそんな事を思いながら薄ら笑いを浮かべ、服の山を見下ろした。
 そんなピクルの目にあるモノが飛び込んできた。それは試着室だった。カーテンは閉じられている。ピクルの息が止まる。
 羽音を立てず、そっと上から覗き込む。そこには、誰もいなかった。ヒビの入った鏡があるだけだ。
「‥‥!」
 その時、後ろで何かが動く気配がした。咄嗟に振り向く。マネキンが空を翔んでいた。完全に不意をつかれたピクルはそのマネキンに直撃して、服の山の中に落ちた。その上にワタルは素早く服を被せた。
「きゃあ!」
 服の下で藻掻くピクル。だが、ワタルは服の四方八方を押さえ付け、ピクルを逃がさない。
「間抜けが!」
「ちくしょお!」
 ピクルは必死になって脱出しようとするが、そこは人間の力。そう簡単には抜け出せない。
 ワタルは手に力を入れながらも、ゆっくりとため息を吐いた。完全に成功だった。マネキンで気をそらせて、後はそこらへんに落ちている服でこいつを押さえ付けてしまえばいい。妖精の力では人間には勝てない。後はこのまま時間が来るのを待つだけだ。
 最初はどうなる事かと思ったが、こうなってしまえば後は楽だ。ワタルは勝ち誇った気持ちになる。
 ピクルはしばらく服の下で必死に藻掻いていたが、途端にその動きが止まった。
「観念したか‥‥」
 ワタルがニタリと笑う。それでも、ピクルは反応しない。
「おい。何か言ってみろよ」
 ワタルは服の膨らみに問い掛ける。
「なかなかやるじゃない、あなた。こんな方法は初めてよ」
 服がもぞもぞと動く。だが、逃げようとする気配は無い。
「昔の奴の事なんか知らねえけどな、結構いい方法だとは思ったね」
「どうかしら? まだ後20分あるわ。逆転の可能性は0じゃない」
「‥‥」
 何をする気なのか、ワタルには分からなかった。この情況で逆転できる可能性があるのか? いや無い。あってはならない。どう足掻いても抜け出せないよう、ワタルは服の端を更に強く押しつけた。


 10分経った。ピクルは何もしようとしない。服の下で休んでいる。一方、ワタルの方はかなり疲労困憊だった。
「‥‥」
 じっと集中して、両手に力をいれ続ける。それは予想以上に骨の折れる事だった。少しでも気を緩めればピクルが飛び出してしまう。だから、一瞬の隙も許されない。右膝の痛みはまったく引かず、逆に強くなってくる。それに耐えるだけでも辛かった。
 この事だったのか、とワタルは思った。後10分間もこのままの状態でいるのは難しい。ビクルはその事を言っていたのだ。
「どう? 疲れてきたでしょう?」
「黙れ」
「少しお話しましょう。私、暇なのよ」
「黙れって言ってるだろうが」
 ワタルは声を荒げる。腕の痺れと右膝の痛み、精神の集中が続き、かなり苛立っていた。
ピクルはその苛立ちの刺を更につつくように服の下でもぞもぞと動く。
「私ね、人間って嫌いなのよ。ただ大きいだけのくせに我が者顔で街中歩いて」
「‥‥」
「今怒ってる? その顔、見てみたいわ」
「‥‥」
「ねえ、ちょっとだけ見せてよ」
「うるせえって言ってるだろうが!」
 ワタルは激高する。ピクルはクスクスと笑う。その笑いがよりワタルを苛立たせる。病院送りにしたら、絶対にぶん殴ってやろう。そう、ワタルは決めた。
「あなた、妖精の事嫌ってるでしょ?」
「ああっ、小さいくせして生意気な奴ばっかりだからな。しかも、チョロチョロと飛び回って、ハエみたいだ」
「酷い言い方。戦争起こした種族のくせして、何堂々と言ってるのよ」
「俺がやったわけじゃねえ」
「でも、あんたのお仲間じゃない」
「他の奴の事なんか知るか!」
 ワタルは再び声を荒げる。黙れと言っているのにペラペラと喋る。本当ならばここでぶん殴ってやりたかったが、今は両手が塞がっている。手を上げた瞬間に逃げられたら終わりだ。
「ねえ、私を逃がしてくれたら、目の前でストリップショーしてあげるわよ」
「タッチしないと約束すれば逃がしてやるよ」
「しないしない。絶対にしないから」
「信用するとでも思ってるのか?」
「‥‥勿論、思ってないわ」
 ピクルの声が低くなる。その時だった。ワタルの左手に激しい痛みが走った。
「いてぇ!」
 思わずワタルは手を離してしまった。その瞬間をピクルは見逃さなかった。素早く服から飛び出し、ワタルの肩にタッチしたかと思うとあっと言う間に距離を置いた。
「鬼はあなたね」
 ピクルは舌を出して微笑する。ワタルは左手をさすりながらピクルにきつい目を向ける。
「てめえ‥‥何した?」
「かなり弱く噛んだんだけど、やっぱり痛かった?」
「噛んだ? そうか‥‥この野郎」
 ワタルは立ち上がる。ピクルは不敵な笑みを浮かべ、段々とワタルから遠ざかっていく。ビルの出口はピクルの方が近い。
「‥‥」
 残り時間8分。ワタルの額から脂汗が出る。膝の痛みは相変わらずおさまらない。ピクルは天井近くをヒラヒラと泳いでいる。ワタルはまるで蝶を追い掛けて手をのばすだけの子供のようだった。
 もうピクルは逃げるだけだ。ひたすら逃げ回れば、逃げ切れる。そしてもう、あいつは余裕のある所など見せない。
 だが、このままでは自分が爆破してしまう。ワタルは歯を食いしばり、何度もピクルに向かっていった。
「ムダよ」
「何にもしねえよりかはマシだろうが!」
 ワタルは必死にジャンプして、ピクルに触れようとする。だが、その手はピクルには届かない。ピクルの動きはとても人間の追いつけるものではなかった。
「なかなかしぶといわね」
「う‥‥うる‥‥せえ!」
 息を切らしながらも、ワタルは手をのばす。その度、ピクルはクルリと身をひるがえし、その手をかわした。
 手をのばしながら、ワタルはもうダメだと思った。爆破の危険がこちらに移った以上、近づいてくる理由は無い。ああしてクルクル回っていれば、もう向こうの勝ちだ。
「はあ‥‥はあ‥‥」
 ワタルはその場に仰向けになって倒れこんだ。息がとまらない。膝が猛烈に痛い。もう動けなかった。
 ピクルがゆっくりと降りてくる。
「もう終わり?」
「‥‥だ‥‥まれ」
 ワタルは汗だくの顔で答える。
「もうちょっと遊べると思ったのに」
「‥‥」
 ワタルは答えない。胸が激しく動き、まともにピクルも見ていない。ピクルはそんなワタルの顔を覗き込む。手をのばせば届く距離だ。だが、ワタルは手を出さなかった。
「‥‥じゃあね」
 ピクルはワタルの頬にキスをすると、どこかへ翔んでいってしまった。ワタルはそんな彼女を追う事もできなかった。


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